Aさん
スワンプマンって何?
Bさん
スワンプマンって、沼男のことだよ
Aさん
なんだよ?沼男って、ホストクラブにハマった女のことかい?
Bさん
ちがうよ!そりゃ何かにハマる沼とは違って、本当の沼。
Aさん
じゃ、その沼男がどうしたのさ?
Bさん
スワンプマンってのは、アメリカの哲学者が考えた思考実験のことを言うんだよ。 (1)ある男が沼の近くで雷に打たれて死んで沼に落ちる (2)別の雷が沼に落ちて、死んだ男を形成している有機体を再構成してもう一度人間として生まれ変わる (3)死んだ男と生き返った男はまったく同じ物質で成り立っているので、死んだことにも気づかず、記憶も元のまま、そして日常を送る。
Aさん
ええ?そんなことってあるの?なんか、この前みたSF映画のような話みたい。本当に哲学者が考えたの?
Bさん
本当だよね。じゃ、今日はこれについて哲学してみよう!
スワンプマンの思考実験は、荒唐無稽な話ではありません。今では、コールドスリープなるものもあり、未来に生き返らせてもらおうと思っている人もいるほどです。死んだ人間が生き返ったとして、それは本当に前の(死ぬ前の)人間と、生き返った人間は同一人物なのでしょうか?
これは怪談でもありますが、猿の手という話があります。あらすじは映画『ペットセメタリー』と同じです。
日野日出志さんの作品にも同じような設定があります。体は死んでいるはずなのに、生きている、生前の記憶がある男の話があります。主人公である死人は、家族に会いたいだけなのに、街中で怪物扱いされ、家族に会うこともできない、そんな切ない怖い話です。
現代科学では、AIを作り、意識を持たせようとしていますが、実はもうAIには意識はあるそうですが、意識を持たせておいて、そのあとの責任はとらないのは本当にエゴでしかないと思います。
最近の研究では、植物でも意識を持っているともいわれています。実は、地球、物体、石なども意識があるのではないでしょうか?無機物には意識がないというのは、人間がそう思っているだけなのかもしれません。そもそも、意識とは、そんな高尚なものではないのかもしれません。
単純に、言語らしきものを習得すれば、意識は生まれる、そう私は思っています。
と話しが脱線しましたが、問題をスワンプマンに戻しますと、話が極端ですので、違和感があると思われますが、人間の細胞は2~3年で完全に入れ替わります。ということは、2~3年前のあなたは、今のあなたとは変わっています。まったく、スワンプマンと同じ理屈になります。スワンプマンは完全に自分の物質を使って再構成されていますが、あなたの場合は、摂取したもので再構成されています。時間の問題だけが残ります。
では、昨日のあなたの意識と、今日のあなたの意識が、自分を自分であると認識する理由はどこにあるのでしょうか?それは、記憶にあります。ちょっと前のことを、昔のことを思い出せるから、自分が自分であると疑いなく認識できるのです。では、もしこの記憶が持続することができなければ、どうなるでしょう?記憶が全く無ければ、意識というものを持たない人間になるでしょう。
記憶が無い→文字も読めないOR会話もできない→意識が生まれることがない。
そうです、ですから、言葉、言語こそが、意識の誕生であり、根源になるのです。
記憶が保持されるからこそ意識が生じ、それが自分であると認識できる。自己同一性。
では、思考実験をしてみます。Aの記憶をハードディスクみたいなものにすべて保存します。Aは3月9日に亡くなったとします。ですが、記憶は3月8日までしか保持していません。この3月8日までの記憶をインストールしてAIを実装したAという人物は、生きていたAと同じと言えるでしょうか?
違う思考実験もしてみます。Bという人間が、不老長寿を得るために、年を経るごとに、人工で作った臓器を入れ替えていきます。人工臓器を完全に入れ替え、脳自体も入れ変えたとすると、その人は、同じBという人間なのでしょうか?いいえ、それを人間と呼ぶことができるでしょうか?
この逆に思考実験もしています。昔の映画で『アンドリューNDR114』というロビン・ウィリアムズが主演していた映画があります。アンドリューNDR114は、お手伝い汎用ロボットでしたが、少しばかり変わっていた(=不良品)のですが、主人がその特殊性を伸ばしてくれ、個性を持つロボットになります。木工や工作好きのため、そういう物を作成し、販売し、主人に銀行口座も持たされて、莫大な富を得ました。
やがて、主人が亡くなることで、別れを告げ、そのロボットは世界中を旅し、自分に似たロボットを探しますが、一体も存在しません。アンドリューNDR114は、絶望しますが、最後に一体だけ女性型のロボットを見かけ、製作者のところに赴きます。ですが、彼女は、個性というソフトをインストールされているだけで、自ら悩んだり、苦悩することはありませんでした。その博士はこの世界の中では、下火になったロボット研究を続けているのですが、アンドリューNDR114は、前の主人の元、莫大な富があったため、その費用で共同研究をし始めます。(中略)そして、アンドリューNDR114は、ロボットである体を、人工臓器と交換し、最後に、人間の血液を注入し、完全に人間になります、身体的に。
AI搭載のロボットが、人間の体を使った臓器などで、再構成し直した場合に、それを人間と言えるでしょうか?
もっと、極論という、ゴーマンかましていいですか、になりますが、他人の心臓を移植した人間は、その前の同じ人間と言えるでしょうか?村上春樹の小説『心臓を貫かれて』みたいな話は、嘘ではなく、実際にある話です。心臓移植をした人は、前と人格が変わった、味、趣味が変わったなど、ある話です。ドナーからの情報提供はない話ですから、まぁ提供元の家族が実際に会いに行って話すということはあるでしょうが。
今は心臓だけですが、今後は、脳を移植するという話が出てくるかもしれません。その時に、脳を移植する前と後の人間は同一人物なのか?という問題が生じてくるでしょう。